たくさん悩んで新昭和

ウィザースホームで新築(2013年12月完成)しました。家づくりのことたくさん書いてます。

情熱論1 情熱の源泉

情熱とは、現実から理想へつながる一本の道のようなものだと思っています。
いったんその道に入ると一切の雑音も聞こえないんですが、けっして静かなところでもないです。もう一人の自分と絶え間なく対話してるような感じです。その道は無性に走りたくなるというか、本能的にその先の見えるところまで走ることになります。その先のボンヤリ見える景色が何なのか、それを確かめたくてただただ走ります。

 

ここで言う理想は「お金持ちになりたい」とか「スタイルが良くなりたい」とかそんな小さなものじゃなく、もっと大きく普遍的なものですね。普段はあまりに遠いところの世界というか、神々しいものなので具体的にイメージ出来ないものです。

全くイメージが出来ないとなると話しが進まないので、この部分は理想的な「もう一人の自分」という形にしたほうが分かりやすいかもしれません。例えば自分のイヤな部分を全てそぎ落として、良い部分を最大限に伸ばした自分という感じでしょうか。このもう一人の自分を「理想」として話しを進めていきます。

 

これはちばっしーの個人的な妄想なんですが、こうした理想はどんな人の中にも最初から宿っているんじゃなかろうかと思っています。色んな経験を積み重ねていく過程で少しずつ見えてくるように思います。

このもう一人の自分は普段のグータラな自分を厳しく見守ってくれています。電車でお年寄りに席を譲るときも、落し物を交番に届けるときも、この人の仕業だろうと思っています。さらに自分が大きな犯罪をしないよう見張ってるのもこの人ですね。
中には家族に迷惑かかるからとか、法律で決まってるから犯罪しないという人もいるかもしれませんが、ちばっしーの場合は単純にイヤだからですね。人に迷惑をかけるのがイヤと思う根底には「もう一人の自分」がいるというか、言い方変えると「理想の自分から遠ざかる」ということになると思います。

 

もう一人の自分には隠し事が出来ないです。当たり前ですね。
どんなに化粧しても着飾ってもその時だけ体裁よくしても、限りなく純粋で平等な評価を下します。だからこの世で一番厳しい人だろうとも思っています。

例えば誰にもバレずにドーピングして、オリンピックで優勝したとします。
全世界の人から称賛を集められたとしても、もう一人の自分を落胆させたらオシマイというか、どんなに周りから認められたとしても、結果的には全然満たされないと思います。

 

自分の中に理想と言う名のもう一人の自分がいるとして、それを喜ばすのは簡単じゃないです。単に静かに生きて他人に迷惑をかけなければ良いかというと、それは全く違うと思います。お金をたくさん稼いで社会的地位を手に入れたら喜んでくれるかというと、これも的外れです。

喜ばす唯一の方法が「情熱」だと思っています。