死んだら後悔すること
学生時代を思い返すと「もっと部活とか真剣にやっておけば良かった」とか「もっと勉強しておけば」とか思う訳です。当時は朝練とか永遠に続くと思っていたのでいかにサボろうかと考えていたんですが、今思うと「2年ちょっとぐらいなんだから頑張れよ」と思ったり、勉強だって「余計なこと考えずに暗記すりゃいいんだよ」とか思う訳です。
30代になれば新人の頃を思い出して「そんなに愛想を振りまくなよ」とか「空回りしすぎなんだよ」とか思ったり、40代になれば30代の自分へ「おまえの顧客は上司か?」とか「もっと本質を見ろよ」とかたくさんツッコミたくなる訳です。
過去を振り返ると全てが簡単に思えてきます。
これはずっと変わらないので、たぶん死んだ後も同じなんだろうと思います。
あの世が存在するのかどうか分かりませんが、きっと雲の上からも「もっと真剣に生きておけば」とか思うんだろうと思います。
震災前は自分が死ぬことなんか考えたこともなかったんですが、今は目が覚めた感じですね。もしかしたら通り魔に刺されるかもしれないし、楽しいはずの旅行でテロに巻き込まれるかもしれないです。本来いつ死んでもおかしくないというのが至って自然というわけです。
あの日を振り返ると「悲劇だった」とか「祈ろう」とかで終わりやすいんですが、ちばっしーは3・11を自分の命日と思って過ごそうと思います。
今日、たまたま死んでしまったら何に後悔するんだろうか・・
おそらく一番強く出てくるものが、今すぐにでもやるべきことなんだろうと思います。朝練キツイとか言ってるのはほんの一瞬というか、今日は1年に1度の軌道修正のような感じです。
余計なことに縛られる日常ではあるんですが、今日だけは素直に向き合いたいというか、春が終わり夏が来るころにはいつものようにダラ~と過ごしてしまうので、せめて今日だけは真剣に考えなきゃなと思います。
静かに祈ることも大切ですが、残された人たちが後悔しないよう見つめ直すことも、亡くなられた方々へのご冥福へつながるような気がします。