たくさん悩んで新昭和

ウィザースホームで新築(2013年12月完成)しました。家づくりのことたくさん書いてます。

情熱論3 理想の片鱗

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で出演していた世界的デザイナー・佐藤オオキさんの言った「諦めない情熱」という意味は、ジュリオ・カッペリーニ氏に認められたくて、何度もイタリアへ通い続けたことを指して言ってるように思います。また請け負ったデザインも機能と両立出来るよう、何度も何度もすり合わせていくことを考えると同じような意味なんだろうと思います。

イタリアの師匠から自分のデザインを何度もダメ出しされて・・と聞くと、普通はどんな風に乗り越えていくと思いますか? 根性で乗り越える?それとも気合? ちばっしーは途中から「もう一人の佐藤オオキ」が舞い降りて来てると確信しています。

 

理想の片鱗とは

同じことを何度も繰り返していくと普通は飽きてしまって集中力が散漫になりますが、もう一人の自分が降りてくると、今まで見えなかった部分がクローズアップされてきます。その新しく見えたものが「理想の片鱗」みたいなもので、世界の中でその人にしか見えない理想への第一歩になるんだろうと思っています。

ここまで来ると誰でも「行くしかない」って感じになります。学歴とか才能とか関係ないし、総理大臣もアルバイトも関係ないですね。その先の景色を見たくなって無我夢中で走り出すような感じです。佐藤さんはイタリアの師匠から「理想の片鱗」の見つけ方を教わったようなものです。

ダメ出しされた時点で「これ以上どこ改善しろって言うんだよ」とか「これは嫌がらせか?」と思ってしまうと、もう一人の自分は降りてこないし、理想の片鱗すら見ることなく終わってしまいます。一般的にはたぶんこのパターンが一番多そうな気がします。

目の前の見えるところだけに執着していると全てが辛くなってきますね。一番おいしいところはその陰に隠れている部分なんですが、残念ながら人間には透視する能力がありません。でも情熱は見えないところを形にすることが出来ます。

 

理想と情熱の関係

ちばっしーの場合は「いつもはこの辺で諦める」というポイントを自分で把握しています。今まで散々逃げ続けてきたからこそ分かるポイントですね。さすがに30歳過ぎてまで逃げたくもないので、ちょっと辛抱するようにもなったんですが、いつもの諦めポイントを通過すると面白いことが起きるようになりました。

周りの目も気にならないぐらい集中しなきゃならないんですが、今まで見えなかったものが感じられるというか、「たぶんこれ、気付いているのは自分だけ」というモノが見え始めようになりました。勘違いも多いんですけどね。たまにヒット打てるというか、中にはホームラン級の成果にもつながりました。

どれぐらい辛抱しなきゃいけないのか分かりませんが、この孤独な道のりは人によって変わるというか、たぶん理想の高さによって距離が決まるように思います。

 

なので、人はそこそこ高い理想をすでに持っているんだろうと思っています。同時に簡単に到達出来ないことも知っているから他の人の情熱に感動するというか、言い方変えると「自分の隠された理想に反応」しているんだろうと思っています。

 

一流の条件

佐藤さんのデザインがなぜ世界で評価されるのかというと、この隠された理想を表現出来るからだろうと思います。そもそも人はまったく見たことない異次元のものには感動しないと思います。全く新しいのに何となく知っていたような、見たことないけど感じたことがあったというか、そういう隠されたところを再現できる人が一流であり、再現しようとするときには大きな情熱に包まれるてるんだろうと思います。

たとえばオーダーされたものをそのまま表現しても一流にはなれないですね。これはデザイナーに限ったことじゃないです。どんな仕事にも行動にも理想は宿ります。私たちは「あれはカッコイイ仕事」とか「これは儲かりやすい」とか短絡的に判断しがちですが、そんなんじゃ一生情熱なんて持てないと思います。

 

理想と向き合おう

「私には理想なんてない」という人もいると思います。でも何気なく聴いた音楽で感情が高ぶったり、不意に見たドキュメンタリーで涙を流しているとするなら、それはもう心の奥底の「理想」に反応している証拠ですね。

追い求める何かが「理想」としか書けないところが、もどかしいです。もっと大きなものというか、プラトンが説いたイデアみたいなものですね。この表現の仕方に困る「理想」はゴールという意味じゃなく「もっと強くなりたい」とかそういう類のものです。自分がどうありたいか・・と考えるのはとても重要になってきます。

今はどこでもネットにつながる便利な時代ですが・・
本当につながらなきゃいけないのは、もう一人の自分だと思っています。