たくさん悩んで新昭和

ウィザースホームで新築(2013年12月完成)しました。家づくりのことたくさん書いてます。

ハレの日の備忘録(現実は大したことない)

久しぶりに青山一丁目交差点へやって来ました。カミさんとわんこも一緒です。ここは以前通勤していた場所でカミさんも同じ職場でした。ここは2人にとっても特別な場所になります ↓

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もう23年も前になりますね。まだ携帯電話も普及していない時代です。当時のランチは会社の人たちの目を盗んで、カミさんとこの青葉公園で食事していました。あの頃の自分からしてみれば、まさか再びカミさんとご飯食べていることが信じられないか ↓

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一部フェンスが取り除かれて開放的になりましたが、基本的には昔と一緒です。今考えると都内のど真ん中にこの空間は貴重な存在ですね ↓

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今日は渋谷で仕事関連の慰労パーティーです。それまで時間があるので表参道を散歩して喉がカラカラになったので犬も入れるカフェで一休みしたんですが、何を血迷ったのかパンケーキを注文するカミさん。

で、結局食べきれずちばっしーが平らげました。 ↓

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今回は700名ぐらい参加する大きなパーティーで、全国3500社ある中の上位2割ぐらいが呼ばれるわけです。そもそも参加出来るだけで光栄なことなんですが、今年はいつもと違うネームというか、ネームにリボンが付くというのは上位の中の上位に送られる特別なネームになります(本名隠してます) ↓

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実はこの会合は協会関係者がメインになるんですが、ちばっしーは加盟していないというか、本来このパーティーの参加資格がないような立ち位置なんですが、毎年の功績を認められて呼ばれているわけです。それで今回初めて表彰されたんですが、推薦人からは「圧倒的なクオリティー」とか「どんなに難しい仕事でも断られた記憶がない」と言われて、感動しながら表彰されてきました。

下の画像でお尻を向けているのがちばっしーです ↓

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記念品とウロコインコの赤ちゃんです。インコは3日前にお迎えしました ↓

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なぜ協会へ入らなかったかというと、16年前に入会を断られたからですね。当時は深く考えずに窓口へ行ったら「素人さんお断り」で協会加盟者からの紹介状がないと入れなかったわけです。協会へ入ればスキルUP出来るし、仕事も斡旋してくれるというメリットがあったんですが、起業した直後に全ての当てが外れてしまいました。

その後は自力で情報収集しながら技術を磨いていったんですが、何とか形になってきた頃に今度は協会が市場を独占する動きが活発になり、仕事を干され始めたわけです。ただでさえ仕事が少ない上に干されるという・・もはや弱いものイジメでした。

絶体絶命の危機を救ったのは直接対決です。たまたま協会側の人がギブした案件に遭遇して「ぜひやらせてほしい」と懇願したわけです。こちとら失う信用も何もないですからね。背水の陣で挑んで(半分運に助けられたけど)何とかクリアーしたわけです。当時は協会最強説がまかり通っていたので、無名なちばっしーにとっては効果的な宣伝につながり、その後は純粋に技術だけで評価される環境になっていきました。

今考えると不利な環境で必死にもがいていたら独自に進化していたんですが、自分に降りかかるピンチの大きさがちょうど良いサイズというか、もの凄く頑張ってギリギリ乗り越えられる感じなんですよね。そのうち自分にとって普通と思えることが、協会側から見るとスゴイになっていき、自分のスゴイが協会側では想像出来ないようになっていきました。

協会の中には「ちばっしーさんは元々優秀だから一人でやっていける」なんて言ってくれる人もいるけど全くの的外れですね。昔は入会を断られ干されてイジメられて何度もピンチを克服していたら、突然変異を起こしスーパーサイヤ人化したわけです。 

人生設計するほど愚かなことはない

結局人生というのはコントロール出来ないようになっていて、それを安易に計画しようとするところに大きな歪みが生まれるんだろうと思います。真実は逆ですね。今日がこの世の最後だと思って無茶したほうが身の為というか、後先考えずにエネルギーを燃焼していかないと「心から」安らげる未来にはならないということ。

仮に協会へ入って皆と同じ方法を教えられていたら、おそらく平均以下だったろうと思います。大きな傘の下に守られた環境では、太陽のまぶしさも雨の辛さも分からないままです。知らず知らずのうちに、日焼けしないように雨に濡れないように調整していたかもしれません。もちろん外へ出れば暑いし寒いし辛いことばかりなんですが「それがどうした」ということ。守られない世界に抱いていた多くの不安は、自分のクオリティーの追及に比べればどれも小さいことばかりでした。

バイク便時代も一緒ですね。悪天候なときほどタトゥー兄さんを思い出しながら「天よ、百難をわれに与えよ」と奮い立たせて走った記憶がよみがえります。青山の会社を辞めるときあれほど迷っていたのに、現実は大したことなかったわけです。

不幸をねつ造しない

あらゆる不幸は過剰な心配から生まれるというか、多くの人はまだ見ぬ将来への不安に莫大なエネルギーを費やしているように思います。現実は大したことないですね。お金が無ければ無いなりの生活をすれば良いだけだし、老後の心配は老後にすれば良いだけです。病気に怯えるくらいなら生命のあらん限り力を尽くし、いよいよ最後というときはさっぱりと死んで行くだけです。怖がることなんか何一つないというのが、この世の真実ではなかろうかと最近思い始めています。

将来の心配なんかするよりも今日一日を大切に生きること。目の前の仕事に最善を込めること。たったこれだけで全ての問題(お金や健康や人間関係や家族や・・)がクリアーになります。無駄に心配して不幸をねつ造して疲れ果ててる時間はないですね。あの世からのお迎えが来るその日まで、堂々と自分だけの狭い道を突き進んで行ったら良いと思います。

 

たまたま先月若い頃の記憶をたどりながら「迷いと決断」を書いたので、色んなことを振り返ることが出来たんですが、生まれてから最初の会社を辞めるまでは長い義務教育だったように思います。自分の意思よりも周りに良かれと思って過ごしていた時間を第一章とすると、バイク便からは全く別の人生になったので第二章ですね。

なんとなく今日を境にこの第二章が終わりに近づいているように思います。今の仕事も色々あったんですが、今回のこの表彰では自分の中でも深い部分で満足出来たというか、全てが報われましたね。それとカミさんも大病してから5年生存率をそろそろ抜ける頃なので、いずれこの第二章もまとめてみたいもんです。今の仕事との出会い、子育て、家づくり、カミさんの闘病、スーパーサイヤ人になるきっかけ、どれも盛りだくさんです。

もし第三章があるなら自分は何をしているんだろう、などと考えないほうが良いですね。目の前の積み重ねが道しるべというか、これからも周りに惑わされず、自分の中の最善を大切にして、興味の向くまま精一杯エネルギーを注いでいこうと思います。