たくさん悩んで新昭和

ウィザースホームで新築(2013年12月完成)しました。家づくりのことたくさん書いてます。

ゴミ拾いと日本人

サッカーワールドカップの決勝トーナメント1回戦クロアチア戦は残念な結果となりましたが、予選リーグから充分楽しませてもらいましたね。全くサッカーに興味の無かったカミさんも、三苫選手の虜になるほどですから。ワールドカップの影響は凄いです。

職場の人たちとサッカーの話題になったんですが、その中でゴミ拾いの話しになったわけです。サッカーワールドカップの会場でゴミ拾いしている日本人サポーターを見て「あれ、絶対に周りを意識してますよね」「彼らは何を狙ってるんだろう」と言う人がいたわけです。

明らかに冷やかしモードに入っていたので、言葉を選びながら答えようとしたら、いつの間にか「ゴミ拾い」の話題は終了してしまいました。

 

正直言うと「あのサポーターたちの姿を冷やかす人がいるのか~」とショックでしたね。ちょっと心配になってネガティブな意見がどれぐらいあるものかと検索してみたら、ソコソコ出てくるわけです。

「奴隷根性」とか「他国から舐められる」とか「ゴミ拾いするのはサッカー場だけ」とか出てきて、はたまた「精神論に浮かれていると国の衰退を招く」とか書いてる著名人もいます。同じ日本人でこうも違うのかとビックリしました。

 

ゴミ拾いは敬う気持ちの表れ

あのまま会話が続いていたら何を話していたんだろうとか、どういうアプローチなら伝わるのかなと悩みましたね。彼が言っていた「あれ、絶対に周りを意識してますよね」「彼らは何を狙ってるんだろう」に明確に答えるとしたら、意識の部分は敬う気持ちの表れだろうし、狙ってるとしたら見て見ぬ振りする自分との決別でしょうか。

サッカーワードルカップ出場というのは、少し前まで夢のまた夢だったわけです。それが近年は常連になりつつあるし、強豪国と熱戦を繰り広げられるようなレベルまで上がってきたわけです。現地へ応援に行くほどの日本人サポーターの熱量は計り知れないというか、もはやワールドカップ会場は、楽しみや感動を超えて尊ぶ気持ちや礼を尽くすに値する空間なんだろうと思います。

海外から見れば神聖な場所というのは教会とか神殿であって、サッカー場は楽しむ場所と割り切るのかもしれませんが、日本人はそうはならないわけです。モノと神さまを物理的に分けないというか、どんなモノにも場所にも八百万神が宿るという考えです。現地の日本人サポーターからすれば、ワールドカップ会場は神聖な場所であり、汚れていてほしくない場所なんだろうと思います。

エンゼルス大谷翔平選手も同じだろうと思います。神聖なグランドに落ちてるゴミを見て見ぬ振り出来ないだけで、少しでも「ゴミ拾ってるオレをカッコ良く報道して!」などと考えていたら、逆に出来なくなると思います。

 

サッカー場だけゴミ拾いしてるのはなぜ?

カタールでゴミ拾いする前に自国の街からゴミ拾いすべき」というツッコミなんですが、例えば花見とか花火大会とかゴミだらけだったりするわけです。これは単にリスペクトが無いというか、その場所に対して神聖な気持ちを抱く人が少ないだけだろうと思います。そもそも酔っ払った人が多いわけだし。

八百万神(自分にとって神聖なモノや場所)を敬う気持ちの表れがゴミ拾いなので、全ての場所をキレイに出来るわけが無いです。それでも大昔から家や通りをキレイにしたり、職人さんは道具を磨いたりと、単に掃除する以上の精神性を反映させていた場所やモノは多かったんだろうと思います。

ちばっしーにとっての 八百万神は自分のバイクでしょうか。好調をキープさせるためにマメに整備しつつ、年がら年中ピカピカに磨いたりしていますが、それは他人から褒められるためじゃ無いわけです。もちろん「キレイですね」と褒められれば嬉しいですが、一番は敬う気持ちの表れ「長旅お疲れ様、これからもよろしく」なんです。仮に他人のバイクが磨けるかと聞かれたらお断りですよね。それを一々突っ込まれても困ります。

 

自己満足なのでは?

本人たちの心の声は「ゴミ拾ってる自分は凄いでしょ?」では無くて「神聖な場所がキレイになって良かった」なんですよね。ツッコミ入れてる人の自己満足がどういう意味で使用しているか不明ですが、自分自身を充足させるには利他的行動が不可欠です。

ただし簡単ではないわけです。電車で席を譲るのも、荷物を持つのを手伝うのも、最初の一声って勇気がいりますよね。何か見返りが欲しいわけじゃなくて、自分自身の良心(お天道様)を裏切りたくないというか、見て見ぬ振りなんかして、自分自身をガッカリさせたくない一心なんですよね。

そもそも「自己満足」という言葉が、悪いイメージで使われること自体おかしいというか、多くの日本人は「自己を満足させるには・・」と考えると、「自分さえ良ければ他人はどうなっても・・」などとは考えないと思う。

もしかしたら色んな外国語に翻訳すると「自分さえ良ければ」という意味合いになるのかもしれませんね。

 

お天道様が見ている

多くの日本人は無宗教だったりしますが、本当のところは「契約して入信する宗教」なんかより、はるかに崇高な宗教心がすり込まれているように思います。

どんなに個の重要性を説かれても、どんなに精神論を否定されても、脈々と引き継がれていくというか、それは数千年に渡り絶妙に継承されていっているんだろうと思います。

全てはお天道様との距離でしょうか。

お天道様というのは八百万神の象徴でもある太陽神ですが、平たく言えば「良心」なわけです。過去に私も「情熱」を連呼していましたが、あのときの「もう一人の自分」もお天道様だろうと思います。

お天道様との距離が近ければ、カタールの日本人サポーターたちのように見て見ぬ振り出来ない側ですよね。遠ければ「奴隷根性」とか「自己満足」などと冷やかす側に回るのかもしれません。

身近な八百万神へ感謝する行為を報道したところで、多くの日本人は心温まるニュースとして静かに見守るだけですが、海外が騒ぐので色んな人たちがネガティブに反応してるんだろうと思います。

わざわざ日本の良いところを消す必要は無いというか、無理して海外に合わせることは無いと思う。他国の迷惑にならない限り、謙虚に日本らしさを続けてほしいと思います。

たかがゴミ拾いですが・・

そこには身近なモノや場所にまでリスペクトすることの素晴らしさや、人と自然(神様やモノや場所)を区別しない尊さが、にじみ出ているように思います。世界中の人たちに理解されるかどうか分かりませんが、少しでも共感してくれる人がいるのなら、世界中の争いも減っていくかもしれません。